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レリック    (hulu)

いわゆるね、異質な生命体が「何の罪もない人間」に忍び寄り、体を奪い、社会的地位すらも略奪する、こういうパターンのスリラー映画の元祖は「ローズマリーの赤ちゃん」があたりが第一人者だと思うのですね。ここで大事なのは「悪鬼は最後まで正体を明かしてはいけない」、この鉄則を守れるかどうかですね。リドリー・スコットの「エイリアン」では見事貫徹し、死に行く無様な様を数秒見せて終わり。細部の体つきは「次回をお楽しみに!」と言わんばかりに、観客のハートをしっかり射止めてしまう姑息な戦法。わたしはこの商魂たくましい演出に感涙すらした。やはり、処女作が大ヒットしたら、作り手だって創作意欲が湧くでしょう。「遊星よりの物体X」も、2度リメイクされましたし、「プレデター」も、番外編が3つも出来て、どれもがある程度ながら好調な興行成績を得た。これは、驚くべきことですよね。そして、亜流の作品が星の数ほど作られて、世の若者は熱病に冒されたごとくビデオ屋に足を運び、「クリーチャー」やら「スペースインベーダー」というバチモンをレンタルし、うかれて満面の笑顔で家路に急ぐ。こういうね、映画製作者の「作戦」に、不可能はない・・・と思いますヨ。これも、驚くべき史実ですねえ。

今回ご紹介する「レリック」なる、モンスターパニック一大叙事詩。世間では「カーペンターやフーパーに失礼だ!謝れ!」という、野次が飛び交いましたが、イヤ、これはこれでしっかりと作られている、単に吸血バンパイアが精気を吸ったり、肉体を盗み取ってしまうというバカみたいなザ・シングものこそ責められるべきで、ハリウッドではこの手法が常道と化しているのです。第一、これは異星人の侵略ものではなく、邪教徒ひしめくジャングルで信仰されて、崇められてきた「神」が、文明社会に手痛いしっぺ返しをするという、「因果応報」とも解釈できる「社会派ドラマ」と割り切るのが、真たるものでないかな、映画人は。

ただ、本編を見終えて、「何か釈然としない思い」が残るのは確かです。とにかく、化学方程式やら原住民の風俗など、「文系の思考回路しか持たぬわたしには辛いものがあった」。それも、博物館の研究員が討論しあう「科学+歴史論」の応酬で2時間進んでしまい、中盤は寝ておりました(笑)。

まぁ、それはそれとて、この映画には3つの新機軸があると思います。まずね、こういうSF映画としては珍しく残虐描写がむき出しになっている。単なる怪獣映画だと思ってみていると、いきなり首がねじきられます。残酷です。親御さんはご配慮を。そして、「音の効果的活用法」が神業で、見る者の体震わすエフェクトとしては、十分過ぎる出来になっている。そうですね、どこかウィリアム・フリードキンの「エクソシスト」に似ていますね。神経を逆なでする「サド・マゾ趣味」の持ち主なら、感動のあまり嗚咽するのではないか。最後に、主人公が超能力の持ち主ではなく、殺人術のプロでもない。ただの、刑事であるというキャスティング、これまた米国映画の人気ジャンルを研究し尽くした結果が出ている。まぁ、トム・サイズモア(「プライベート・ライアン」、「ヒート」)の無骨な顔が2時間映るのですから、あまりフェロモンというか、女性客からは無視される配役ですが(笑)。

監督はピーター・ハイアムズ。重鎮の一人ですね。お察しのとおり、この人はムラが多すぎる気がする。「カプリコン1」は拍手喝采でしたが、「サドンデス」やら「タイムコップ」は、一度レンタルしてみればお役目終了。変に流行の「ダイハード」やら「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に色気を出して、俺の映画哲学はこうなんだ!と意気込むから、失敗に終わった。この頃の「粋な職人」と呼ばれていた、ジョン・バダム、ジョー・ダンテ、ジョン・ランディスあたりの玄人サンは、最近いい噂を耳にしませんね。結局、この連中の旬は過ぎ去っており、今のところサイモン・ウェストやらトロイ・ダフィーという「大作路線」の志向を目指す人たちに政権交代しているということかな。

よくも悪くも「ジュラシックパーク」のホラー版という汚名は否定し難くて、甲虫と爬虫類と哺乳類の混血児が、人間の脳下垂体を食らってサバイバルするという、”人気映画のおいしい所取り」という指摘は正しいと思います。ですが、この「博物館」という閉所で殺し合いが横行し、自由ある外へ脱出するまでの手順が絶妙なのですね。もっとも、あんな可燃物の薬品が安易に入手できる博物館側の管理体制には失笑してしまいます。しかし、ホラー映画最大の重要懸案である「こわい」の一言には感動しましたし、何より、「猿の惑星」とか「エイリアン」にある”地球の長はもはや人類ではない”たる説法合戦が皆無である。こういう、お気楽さこそ、活動写真の真実ではないかな。少なくとも、huluで見た中では、最高傑作でもあります。そりゃあ「ハロウィン6」が相手では、決着が見えているのも、当然ではないかな。DVDで見つけられたら、一度ご鑑賞を。総括して5段階評価でAとします。

   5段階評価=★★★★★     見た媒体=hulu

死ぬまでにしたい10のこと  (スカパーe2)

昔から全世界で愛されてきたシェイクスピアの四大悲恋劇、特に思い出深いのが「オセロ」です。わたしが最後に見たのは90年代のローレンス・フィッシュバーンとケネス・ブラナーという、キワモノ揃いのバージョンで、たしかLDは今でも持っていると思うのですが、正直、これは舞台で見るのが王道でしょう。それはそれで、この話はあまりにも陰惨すぎますね。どう見ても、ローレンス・フィッシュバーンに非はなく、馬鹿な王妃と馬鹿な腹心の身勝手な不倫劇でして、いやいや、渡辺淳一の小説じゃあありませんが、欲望にひれ伏して情事に勤しみたいなら、ご随意にどうぞ!としか直言できないです。「不倫は文化だ」とかホザく芸能人の一言が、一時、世間を席巻しましたが、こういうメディアで国論が動く国は、日本だけです。とにかく、ゴールデンの民放(夜7時~11時に限られますが)は、もう少し真摯な番組作りをしていただきたい。「押し買い」とか「催眠商法」という、憂う社会の暗部に、光を照らすのがメディアの天命だと思うけれどな。管みたく、思いつきで番組つくりに猛進するから、身勝手で軽薄なゲテモノに豹変してしまう。所詮は、AKBのパンツとパイチラ見せることで、視聴率を稼げると、テレビ局は慢心し、己の罪に気づかないのです。お願いだから、女子アナとお笑い芸能人のトークショーとかやめてくれ。B級グルメをパクパク食う番組にしても、世界には圧政と弾圧で、糞食すらしている部族がいることに社会的提示をすべきだ。極論、NHKとEテレがあれば日本の国民には十分すぎる、ネットや動画配信が、ここまで普及したのだから、数の論法より、質の勝負で仕掛けてほしい。

初恋の相手と17歳で「できちゃった結婚」し、家族ともども幸せに暮らしていYたが、この主人公の少女は、刺激を求めて、軟派な旦那より、野性味ある男性との情事にエクスタシーを感じてしまう。どうせ、わたしは癌で余命僅かなのだから、わたしに青春はなかったのだから、男漁りはさせてください、それが女の情念たるもの。かくして、彼女は娘の育児を放置し、ネグレクトという言葉にも気づかずに交接に没頭するのであった・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんだこりゃあ!!!!反社会的すぎる!それも、この話が良識派言論人から、「女性の自立の真意に迫る魂の衝撃作!」とか、ふにゃけた宣伝をされている。一度、カナダとスペイン(製作国)にも、震度9ぐらいの烈震が起きて、こういう映画を作った天罰が起きて欲しい。不倫万歳をしている国には、「去勢制度」でも法律で適用し、姦通をした男には、聖なる裁きを執行すべきだ。「失楽園」でも、ここまでひどくはないぞ。

だいたい、題名からして「涙とまらぬ感動巨編」たる話を期待していましたが、その実態たるや「週刊ポスト」のエロ小説と同格なのに、懸命な諸君なら気づかれるであろう。いくら死ぬ運命があったとはいえ、死ぬまでに10の破廉恥行為をしたい放題、それも、それがオンナのサガたるものと、この監督、クソ生意気にも説教してくる。あんた、何様のつもり?愛の伝道師?

主人公の女性、23歳という設定ですが、どう良きに見ても30代の白人さんで、コイツが延々と間男と情事にふける”エロス”で女優の大儀を語る段階で、生理的に受け付けない。あんなに優しくて、イケメンな夫はいないだろうに、ああ・・・・こういうことですか、大恋愛の末に築かれた夫婦なんて、いつかは覚めるもの。旦那にはない野性味を持つ独身男にこそ、「愛だわ!これこそ愛なんだわ!」と”子宮”で物事を考えるから、イコール・セックスで余命を活き活きと過ごせる?こういう、それこそ「子宮倫理」たるものは、いつでも存在するようですね。ワシは見たくもないですが。淫乱という言葉は、この嫁さんのためにある。

音楽的には、そうでもないですが、妙にセンチメンタルなもので、「生きる」という元気さがない。ここで思い出すのは「ロミオとジュリエット」のすばらしく官能的な心理描写を音楽で表現した前例があるという、「歴史」という言葉の持つ重鎮さです。女優さんが駄目ですから、音ぐらい魅入るものがあってこそ、当然の要求ではないかな。

やはり、男女恋愛たるもの、笑いが必須項目でして、メグ・ライアンやレニー・ゼルウィガー、ドリュー・バリモアが出て、初めてスタートに立てる。その後の疾走には、旦那とか子供、親の「背景」という構図でさらにムチを打てる、こういう順序ですね、映画にも理路整然たる「手順」があるのです。この「死ぬまでにしたい10のこと」には、それが欠けている。おお!あわや、BSアンテナを叩き壊すところでした。総括して映画史上稀に見る極悪映画。監督さん、死んでくれ!(笑)。5段階評価でEとします。誰が見るのだろう?

    5段階評価=★     見た媒体=スカパーe2

すべての美しい馬   (huku)

今、公開はまだか、いつ見れるのだのと熱病のごとく若者を虜にしている「戦火の馬」(スティーブン・スピルバーグ監督)という一大叙事詩。わたしも非常に楽しみにしており、3月まで待てれず、とりあえず先にCDを買っておこうかな、とも画策しているのですが、こういう動物映画とは、古くからナンパな客から絶大なる支持をうけてきた。もちろん、「フリーウィリー」とか、ベンジー・フリッパーと、真の映画愛好者からは失笑を買っていましたが、それでも「家族層」という、最大の顧客から、パンフレットなりお菓子なりオモチャという減益続く業界において、多額の現金を頂戴してきた。いくら美談を語っても、所詮映画作りには制作費が必要とされ、その為には手段を問わぬのが本音でしょう。資本主義の体制の毒々しさ・・・笑ってしまいますね。まぁ、そういう業界に堕落させたのも、我々観客の無節操な課金志向の結果ですし、起こるべくして生じた結果なのかもしれませんね。

正直、見る前は「トゥームストーン」とか「ワイアットワープ」みたいな、殺伐とした悪党どもと正義の保安官の修羅場たる話だろう、と推測していたのですが、実体は奪われた土地と名誉を奪還する壮絶な執念の物語=「家族とはなんたるべきか」という、気分の滅入りそうな話だったのですねえ。もちろん、描写的には戦争も虐殺もない、のほほんとした展開で客を魅了するが、家族の再生なら、手段を問わぬという、長男の”死闘”を家族層の客に配慮したのか、「差し障りのないレベル」で魅せてくれる。これはこれで王道たる約束を遵守したまでのことと良きに解釈していますが。やはり、大衆に媚びるというのは、大切なことだと思いますよ。

年代的には、詳しい説明がないのですが、第二次大戦後の米国とメキシコあたりが舞台設定でしょうか?パンフレットがないので判断しかねますが・・・・。見るべきは、メキシコの荒涼とした荒地と、テキサスの裕福たる牧場の、「文明先進国と途上国の落差」。ここだと思います。一部、マックイーンの「パピヨン」を彷彿とさせる刑務所での虐待がありますが、ここでも横行する殺人・官僚至上主義への啓発があり、やはり監督サンって社会的告発をしなきゃあ気がすまないのかなあ、と失笑してしまいます。まぁ、顔ぶれが16歳の少年たちであり、この年頃で一家の跡継ぎたる姿勢を示せ!とは、さすがにアメリカン・ドリームの国、成功して銭ナンボという内情を再確認したまでです。まぁ、話を数段階ソフトな展開にしておけば・・・という残念な思いもありますがね。

思いなおすと、全体的に「見せ場」がない、平坦で活劇シーンも官能シーンも、何もないのに気づきます。題名の「馬」が荒野を大疾走するスペクタクルなど微塵も感じませんし、複葉機での空中戦も、戦車隊同士の砲撃戦もない。ここで思い出すのが「インディ・ジョーンズ」でして、ドイツ軍やソ連軍との鬼気迫る格闘を、時にグロテスクに、時にはお笑いを込めて、若年層の観客にも分かりやすく演出した成功例でしたね。やはり、映画には遊び心が要されるのではないかな。ここまで教育勅語的に言われてもね・・・。

また、マット・デイモン、ヘンリー・トーマス、ルーカス・ブラックの「荒野の暴れん坊(笑)」のお気楽な人生、その末路も、見るに値しません。だいたい、この3人、どう見ても20歳後半の顔つきでして、どこが16歳の少年だよ!とテレビの前で愚痴ってしまう。それも、基本的にブラックなお笑いが根底にあり、生理的に不愉快な思いも生じてしまう。ああ、奪われた馬に乗り、メキシコからテキサスの道をたどり我が家に帰るというのは、「復活の日」と同じで、場内大爆笑に包まれる危惧すらある。真面目な映画を目指しても、そう上手く事は進まないものだなあ。

ペネロペ・クロスという女優さんですが、初めて見ました。特に感慨深い発見はなかったですが、ほうほう、これが今で言う少年少女から絶大なラブコールをうける演技派女優のひとりですか!と、世間との感覚のギャップ、この「ずれ」に不快な思いしか残りませんでしたね。美少女というより、20歳以降の熟女としか見えませんし、そもそも、この人はどこの国の生まれ?と劇より、そちらに気が向いてしまい、終盤にマット・デイモンと別れても、感慨に残るものなし。全体的に、デミ・ムーア系の女性という感想でしょうか。

huluで見たのですが、途中で回線が切断してしまい、。パニックになりました。イーモバイfルとは常時接続ではないですからねえ。画質的には、それほど問題ないけれど,BDと比べるとどうなんだろう?まぁD端子接続ですし、妥当なところかな。総括して、5段階評価でEとします。見るべき「見所」が皆無。米国ではウケても、日本にはツライものがあるいねえ。向き・不向きという言葉で全てが語られるのではないかな。

    5段階評価=★       見た媒体=hulu

ハロウィン6 最後の戦い   (hulu)

しかしながら、たかが映画一本で、ここまで憤慨するとは予想だにしませんでした。個人的にジョン・カーペンター監督の映画手法は高く評価しており、すべてコンプリート済みなのですが、彼の理念をここまで誤解している監督には苦笑では終わらず、あきらかに殺意を感じたのです。殺されるのは若者ではなく、温故知新という四字熟語の解釈すらできぬ製作会社どもの人間なのですね。あまりにも残虐な殺戮シーンのオンパレードには、「こんな映画をビデオ屋で流出させるのは、放射性物質の混じった汚染水の廃棄と同等の犯罪ではないだろうか。マスコミも、身内に甘いというか、きれいなものは良い、汚いものは悪いという自浄能力の感性がないのか」と、あわや討ち入り寸前の勇み足を踏むところでしたね(笑)。

まぁ、そういう武勇伝はどうでもいいとして、この映画は2つの新機軸があると思います。その1 家人が居ぬ我が家という空間が持つ閉鎖性、迷宮性。なにしろ、外へ逃げれないのですから、まるでRPGのダンジョンと同格の「悪の要塞」と化している。ましてや、地下室なんて悪鬼の産卵場ですので、絶対に降りたくない。このあたり、サム・ライミのゾンビ映画でも同じ手法が使われていましたか。「ヘルレイザー」か「エルム街の悪夢」では、廊下が長い、長い、両親の部屋へ逃げ込もうにも、廊下がどんどん伸びていくのです。これは、日本人の感性ではあり得なかった。もちろん、「スウィートホーム」などは先駆的存在でしたが、あれはホラーではなくコメディ映画ですので、同類に扱わず。

その2、音楽の持つ「技」。いや、これはカーペンター監督作である意味「完成形」を見せており、今更評価するに値しませんが、ブギーマンが潜み寄り、絶叫するまでの「間」がこわいの、こわいの、おお!今晩は安眠できそうにありませんねえ。そういう効果音もいいですが、カーペンターの映画音楽家としての手腕、これも引き継がれている。例のテーンマソングですね、流血と恐ろしい旋律、絶命のあえぎ声・・・・このミックスされた恐怖の相乗効果と申しましょうか、これこそ70年から「キング・オブ・ホラー」の第一人者と呼ばれた彼の偉業のひとつ、これが、この映画でも存分に楽しめる。これは、驚くべきことです。

ただ、話がよくわからなかった・・・本音です。冒頭の少女が殺されるまでのいきさつを見て、彼女がなぜ狙われるのか理解できませんし、途中から主人公が「どうして己の命を賭けてまで、悪魔と対峙するのか」、理由がわかりません。また、ブギーマンを復活させようとする特権階級の富豪どもの目的もさっぱりですし、なにより最後のどんでん返し、何の意味があるのでしょうね(笑)。れれ?「最後の戦い」というサブタイトルは嘘で、7作目があるということ?まぁ、この詐欺師みたいな製作者側の思惑こそ、次も観客を呼び寄せるフェロモンと化しているのですがね。

第一作目の殺しのテクニック、これをクソ真面目にも踏襲しており、女の子の逃げる先に死体がつぎつぎと飛び出してくる・・・一種の「騙し絵」とも言うべきアチラの国では古典的手法ですが、こういうのは素直に認めたいな。もちろん、これはわが国の「必殺仕事人」でも同じでして、「仕掛人」がオンエアされた時から、すでに日本における殺人美学は完成されていたのです。まぁ、今の時代の親御さんからして見れば、あまりにも「人の命を軽んじた映画」でしょうね、許し難いでしょうね。しかし、古今東西、こういう「死の美学」は語り継がれて、それどこそ「汝・命を殺めるなかれ」という教えになっているのです。権力に媚びて嫁さんを虐げる行為は万死に値する・・・・この「東海道四谷怪談」が、日本人の民族精神に与えた影響とは、すごいものがあると思いますよ。

ただね、こういう映画を家庭用ゲーム機で楽しめるというのは、問題ですよ。hulu対応機器なら、いつでもどこでも映画鑑賞、それは」いい事ですし、家電商品の進化には驚嘆しますが、物事には「節度」がある。クレジットカードさえあればアニメから官能映画まで、無限に「バーチャル空間に潜り込める時代」なんて、それこそ「ザ・セル」とか「ゲーマー」というスリラー映画と同格ではないか、業界も、悪しき膿は出し切って「俺は映画が好きだ」と胸を張れる自尊心を持って欲しい。その意味で、この「ハロウィン6」は成人指定にしていおくべきです。総括して、5段階評価でEとします。いい面もあるけれど、夜中に一人で見ては駄目(笑)。寝つきが悪くなりますよ。

   5段階評価=★     見た媒体=hulu

ターミネーター サラ・コナー クロニコル  (Hulu)

むかし「キャリー」(スティーブン・キング原作)という、すごくこわい映画がありましたよねえ。劇場で見た人なら、最後のどんでん返しで絶叫した経験があるでしょう(笑)。この映画の優れているところは、映画館で見ても、戦慄するが、家の小さいテレビで見ても、おそろしい。この見る媒体を選ばず、製作者の思惑通りに恐怖するあたり、なにやら「やられた!」と失笑するのですが、やはり今のご時勢を考えるとDVD市場(特にBD玉砕)の衰退により、映画業界がPCによる動画配信にシフトしつつある現実を考えてしまう。ノートPCの画面で、怒る・笑う・泣くという「五感を刺激するメッセージ」が欲されるのですから、相当にインパクトがあり、斬新な手口で見せて、大画面のスクリーンより、高度な表現・手法・主張が求められる。ここは、今後の映画業界の課題だと思うのですが、前述の「キャリー」では、何十年も前から、その条件をクリアし、14型ブラウン管テレビ単独で「新たな指針」を攻略済みであった。これは、驚くべきことですねえ!

今回から、若者から無視されているのか、熟成途中であるのか判断のしようがないHuluと契約を結び、昨晩から見ているのですが、ムムム・・・こいつの正体とは、ドラマコンテンツは申し分がないですが、映画に限ると粗悪なラインアップ。だいたい、今の若年層に媚びるには、日本語吹替えが必須だと思いますが・・・・どうなんだろう、iTunesなりZuneという「王道派」に比べると、数段見劣りがしますね。毎月定額課金という宣伝文句も、一ヶ月1本見ても、31本でも両者定額で、少数派には返金するとか、考慮すべき懸案があったのではないか?もちろん、動画配信の信条、在庫切れナシ・返却の手間ナシ・延滞課金ナシという鉄則は守っていますが、なんだか悪質商法の「押し買い」ではないが、巧妙な策にハマッてしまった気がします。もっとも、iTunesのアカウントは解約したため、これしか映画を見る手段がない。iTunesの最安値の映画、レンタルのみで200円コンテンツを31日間利用したのを考えると、お得な気もしますし、外出先でもネットブックで途中から鑑賞できる利便性は絶賛したいが・・・・まぁ、履歴を人から見られたら、利用者の趣向性がモロバレなので、念入りにサインアウトする必要がありますyね。

で、「ターミネーター サラ・コナー クロニコル」(テレビドラマ)の感想・・・・と言いたいですがね、断っておくと9話あるうち、見たのは4話までなので、事態の推移はわかりかねます。それでも、劇場版を見ている知識の弊害か、地球で核戦争が起きる「未来」は周知のとおりで、悲劇を避けられぬ戦争を見るというのも、情けねえな、こりゃ・・・これが第一印象です。劇場版の1と2は覚えていますが、3と4は思い出すのも困難な粗悪たるシナリオ。結局、人類と機械のどちらが勝つかという展望にも興味が持てず、ひたすら親子の確執と派手なアクション、9話までこれか・・・・涙出てきた。

話も、大雑把には説明できますが、細部に至ると判別不能。4話あたりで、機械軍の行動、人工の皮膚を身にまとい、工場でなにやら策すあたりの説明が十分とはいえずムシャクシャとした後味の悪さばかり口内の粘液が如く残った。どうするねん!ワシにどうしろと言うねん!(笑)。それと主人公の女の子(ターミネーター)がブスすぎて、感情移入が出来ぬ始末。これは、白人女性の持つ遺伝子、幼女⇒少女⇒熟女⇒老女と辿る進化形、20歳ごろのはつらつとした年頃がないのを再確認したまでですね。ナタリー・ポートマンとかウィノナ・ライダーも少女期に見せるキャラクターはウケましたが、いきなりバアサンに豹変したでしょう?年をとるという言葉が、20歳過ぎて急速に早まる「生命の進化」の新たな解釈が、実証できたと思います。おおっ!ターミネーター見て、卒業論文が書けるとは、世の学生職君、試験も楽勝ですね(笑)。

それに、敵も味方も、無敵のサイボーグですから、どうにも緊張感に欠ける。はっきり言って、大味で、流れ弾で絶命する警官隊に畏敬の念すら見せない。2で死亡した黒人技術者の遺族へも、無視・無視・無視で、コナー親子の生存権のためには一般市民の命など、論外である。このあたりの論法、大嫌いです。もう少し人道的に進めて欲しいな。

せっかく入会したHuluも、この程度のコンテンツで勝負賭けるなら、勝負が見えています。どうかな、コメディ系のドラマなら、まだ収穫があるかもしれん。、映画になると、実に実のない面子ばかりなので、Huluの真髄とは、ラブコメ系?あるいは医療ドラマとか、法廷闘争モノ、コイツらにあるのではないかな、劇場映画とは目標とする指針が違うようです。「シカゴホープ」とか「ナイトライダー」は、是非とも拝見したいです。それにしても、家でも外でも、映画を見るのに、共有できて24時間過ごせるとは、ベータデッキの頃から考えると、驚愕の進化です。ターミネータードラマ版、総括して5段階評価でEとします。グズ過ぎ!

   5段階評価=★     見た媒体=Hulu

ジャッカル   (NHK-BSプレミアム)

名前も素性も知らせぬ「空気のような存在」。こやつは、ついに最後まで正体を明かさず、寂しく立ち去り、残ったものは不条理な戦いの末に友と家族を亡くした主人公だけであった・・・こういうの、60~70年代以降、ハリウッドで星の数ほど作られましたが、成功したのはリドリー・スコット監督の「エイリアン第一作目」だけだと思います。なにしろ、敵は姿を見せず、成長する痕跡も残さない。排気口を這い回り、迷宮と化した宇宙船で殺戮を続けていく。最後に倒されるまで、観客はついにその姿を目にすることもないのですね。この「透明人間的存在」は、西部劇でも多用され、クリント・イーストウッド監督の「ペイルライダー」たる作品もそう、悪徳保安官の前に現れた風来坊は、かつて殺したはずの男で、地獄から舞い戻ってきた任務とは、”悪を根絶やしにするために正義の死刑執行をする”・・・・・・ものすごく大雑把な話(笑)。わたしの好みではないですが、ジョン・ウェインやマックイーンみたく、実体を持つ有機質な戦士より、幽霊のような無機質な生命体のほうが、俗に言う玄人向けで知識人(爆笑)からの評価も高いのではないかな。「惑星ソラリス」の宇宙人も、遂に正体も目的も明かさず、過去との闘争に疲れた男に、幻想を与え続けて共存していく。特にアメリカ映画では、その物体を絶対悪に豹変させて、人間たちを懲らしめる悪鬼のごとく「エンタテインメントの王道」で勝負に挑むケースが非常に多い。これは、やはり共産主義という「姿の見えぬ隣人」が闊歩していた過去があるからでしょうね。昨晩、ロードショーしていたインディ・ジョーンズ4も同類。

「ジャカルの日」というバイオレンス映画は子供の頃見ましたが、途中に暗殺者が殺しの予行演習するシーン(カボチャが吹き飛ぶところ)と、最後に倒され、何事もなかったかのように振舞う警察たちの無常な生態しか、覚えがありません。重要になるには「殺し屋と公安側、どちらを応援するか」でしょう。この「ジャッカル(リメイク版)」の場合、敵の目的は明かされず、標的が定まらぬまま「なんとも不愉快な疑念」しか感じ取れぬ、。映画愛好者として最低な仕打ちを受けるわけですね。当然、この展開では善のテロリストを愛してしまうのです。しかし、こいつはIRAの過激派のくせに、その素性からは考えられぬ「権力への媚」がある。これでは、公安側にも同情しかねる。ここです、この優柔不断な展開からして、見るものは呆れ果て、一番の被害者は、大統領夫人ではなく、我々観客である、断言できます(笑)。

だいたい、ロシアの凄腕女性少佐が、アメリカへ来て大暴れするという展開は過去にウォルター・ヒルの「レッドブル」で踏襲済みであり、こういう「世界ウルルン滞在紀」みたいなキワモノは一般客からは、支持されにくいのではないかな。もちろん、ブルース・ウィルスの「静かなる暗殺者」が変装して獲物に近づくパターンは、それこそ猛獣のジャッカルであり、看板に偽りはないのですが、特に褒め称える気はしないな。それに、リチャード・ギアの持つ意味合い(毒には毒をもって制せよ)という、エラソーなキャラクターも気にいらない。共通しているのはチェチェン・マフィアとIRAが、骨抜きされた飼い猫と同格のものに成り下がっている。ここが残念。つらいコメントですが。

もちろん、いいところもあります。ジャック・ブラック(「トロピック・サンダー 史上最低の作戦」、「スクール・オブ・ロック」)が重機関銃に肉塊とされるスプラッターな演出は、非常に興奮しましたし、マチルダ・メイ(「スペース・バンパイア」)の放つ濃厚なフェロモンもいい。なにより、音楽が非常に勇壮である(民族意識を高める意味合いで)、ここの「音の効果」でも、実験的ではあるが、思いなおすと踏襲され続けたハリウッド恒例の演出である、このプラスとマイナスの相乗効果的な意味合いも十分結果を残している。これは、監督の持つ多才ぶりが実証されたところでしょうか?

途中、理解不能な展開があります。公安側に、情報を漏洩する裏切り者がいる、こういう「犯人探し」のエピーソードがあり、我々としては展開に魅入るのですが、何の説明もなく、トカゲの尻尾切りで終劇になる。ここですね、こういう浅はかな製作者サイドの知恵遅れぶり(笑)。ああ、この監督も、「思いつきで映画を作ったな」と、万人から失笑を買われる事態に陥っている。映画監督を目指す輩は、己の器を知っておけよ、身分不相応な仕事するなよ。愚人はどう足掻いても愚人だぞ。

まぁ、チャーリー・シーンの「ザ・ターゲット」とか、ああいう大衆に媚を売った作品よりは真摯なつくりですし、チェチェンVSアイルランドという、ご当地名所番組の意味合いも持つので(これはウソだが)、ライト層からコア層まで、対処した作りはいい。が、「毒には毒をもって制せよ」という論法は、食傷気味で、わたしみたいな古くから映画ファンにはつらいものがある。結局、美味しい思いをしたのはシドニー・ポワチエだけだったと思います。彼と、音楽と、マチルダ・メイだけは合格点、後は監督の傲慢さだけが記憶に残りました。話がよくワカリマセン。総括して、5段階評価でEかな。

   5段階評価=★     見た媒体=NHK-BS

バタリアン2  (Zune動画配信)

よくゾンビ映画を”高尚な大人の娯楽である”とかホザく下流市民がおりますね。文明社会への警鐘だとか、地球の長は人間だけではない、ゾンビと人間、どちらが知的だろうか?いるでしょう!こういう輩。たいてい、「スターログ」を愛読した過去がある、劇場でスプラッタームービーを見ていて、手を叩いて爆笑する。ほうほう、わかってきたぞ、自分は他の劣等遺伝子とは違う人種で、感性が優れている。ホラーを見るにしても、内面の真実(爆笑)を見極めて、監督の真意を思いはかり万歳三唱、拍手喝采で褒め称える。これだ、この自分のローンウルフ(笑)的なキャラクターは他人と別格なものであり、圧倒的に勝ったのだ・・・。いるんですよねえ、こういう困ったチャン。館長さん、なんでこんなニイチャン入れちゃったの?

まぁ、そういう異人種は無視するにして、今回ご紹介する「バタリアン2」。懐かしいねえ!!!20年ほど前かな、京都に滞在中、劇場で(1のほうでしたが)で見て、その後、郷里に帰り2と3(邦題はリターンズ)を見た覚えがあります。が、話をほとんど覚えておりません。ゴメン!唯一、リターンズの残虐度の高さに閉口した記憶はあり、2日ほど眠れませんでした。ホラーの天命というか、観客に不快な念を案じさせてナンボの商売をしただけの思い。極論、音楽(アナログレコードを、持っていますが)だけが見所だったと思いますが、どうなんだろう、世間では興行的に1に及びませんでしたが、コア層からも「13金とエルムの一派」としか評されなかったのではないかな?最近では「遊星からの物体X」に再評価に動きがあり、リメイクのリメイクをされたそうですが、ああいう下劣な主義に埋没して、「墓場で死人と永眠している」のが、現実じゃあないかな。個人的にダン・オバノンは嫌いです、「エイリアン」にしても、やたらとカニバリズムに徹する傾向がありますので。

20年ぶりぐらい?バタリアン2(正式にはリターン・オブ・ザ・リビングデッド2でしたか、邦題のセンスの悪さに閉口しましたが)、やはり人の死を金稼ぎの題材にした製作者、コイツの腹黒さに胸糞が悪くなりますがね。それに、ホラー映画の運命として「何人犠牲者を出すかの競い合い」に徹している傾向があり、どうにも反社会的な存在でしかない気がしますが。もっともエンタテインメントとして成功すれば、なんの問題もないのですが、人の脳みそすす喰いするカットで娯楽も何もあったもんじゃない。まぁ、ゾンビ役もいけにえになる市民の役の人も、役者さんの使命、責務を果たされた熱演にはエールを送っておきます。

話は1と共通項はなく、当然、後日談でもなくて、別エピソードで見せる人間とバタリアンのせめぎ合いと解釈をしたほうがいいでしょう。1と同じ役者さんが出ていて、ゾンビウィルスに感染して哀れな末路を遂げる・・・ここの「キャスト一新」を怠った”手抜き論法”だけが思い出深いですな。配役をみていると、主人公が少年であり、「ロストボーイ」とか、「死霊伝説」と同列な演出がある、これはおそらく子供層の観客をターゲットにした結果なのでしょうが、古来からある「映画館で最高のお客様とは家族層である」という経営側の皮算用を遵守した、当然の行為です。むしろ、ホラーばかり上映して、すさんだニーチャンとネーチャンという「不本意な客を相手にする劇場側」も、一種の被害者です。

なにしろ、コメディだから、話に難題が山積みにされており、見ていて居眠りをしていたのですが、とりあえず「勧善懲悪の鉄則」守られております。ですが、それなら60年ごろのくだらないB級映画で論議し尽くされており、90年代になって主張されても困るのですが。ただ、新しい試みとして有名なハリウッド映画からお知恵拝借をしていて、尚且つそれが成功している。これは驚くべきことですよ。ハリーの名セリフまで引用するとは、商魂たくましいですなあ。

途中までは荒れた一家族の崩壊劇から絆の結束という、センチな意味合いが強いのですが、終盤には軍隊を率いて大反撃をして、バタリアンどもを駆逐してしまう。やはり、この法則を遵守していただかないと映画とされての「関連付け」が垣間見れず、去年公開されて、大成功した「お猿の惑星」(苦笑)がどれだけ非人道的なつくりであったかを諸君も気づかれると思います。猿が地球の盟主であるとは、信じられない展開ですね。

スプラッター要素は、強烈すぎて、今のゼメキスやらフィンチャーの「作り物の恐怖」とは相対する過激さ。正直、地上波では流せないと思いますが、どうだろう、今の子供って、ゲームとかで免疫が出来ているのかな?少なくとも、脳みそをすすり食うとは、下手にロードショーしたら最後。「皆さん!あのばたりあんという映画は反社会的で、子供に悪影響を与えるのでケシカランですな!わが子を守れ!」(社民党有志の会)とかいうオバチャン議員の恨みを買い、駅のホームで立っている時ですら、過激分子のテロに怯える日々になる、「節度ある映画つくり」も、必要とされますよ。

本音を言うと、こういうサバイバルアクションには食傷気味で、見終わりすぐHDDから削除。まともにパッケージ版を買っていたら、怒りの鉄拳をDVDにくらわすところでした。ふ~ん、こういう映画が流行った時分もあったんだ・・・・ノスタルジックだなあ。ああ・・・・これでZuneの利用者離れが加速する(涙)。総括して、5段階評価でEとします。続編で成功作なしです、再発見。

      5段階評価=★   見た媒体=ネット動画配信

スペシャリスト (地上波デジタル)

この年末年始、初詣にも行かず、ひたすら地上波放送の録画に専念しておりました。どうなんだろうねえ~?新春ロードショー(仮題)とか年忘れシネマ(こいつも仮題)といった類の映画番組が、むかしと比べて激減しているような・・・。子供の頃はジェームズ・スチュワートとかジーン・ハックマン、ジョン・ボイトという渋めの親父が毎夜拝見できて、「寝る間も惜しむ」という言葉どおり、狂喜乱舞の宴をしていたのだが。あきらかに視聴率至上主義で、尚且つ異常なまでのCM量。ハハァア~、わかってきたぞ、映画本編はどうでもよくて、スポンサーからの銭集めに徹することこそジャーナリズムの本道なり。CMが流れると、至上の幸福感を感じて、この男快感のあまり射精してしまう。これだ、これこそテレビ局の天命だ!と感謝し尽くす。明日は美人女子アナ新春運動会だ、編集の合間に一本ぬかせてもらおう・・・。こいつら、この売国奴が日本の世論を動かしているのだから、チャンチャラおかしいよ。お台場あたりに震度8ぐらいの「天誅」が下る日を待ち望んでおります。

まぁ、そういうぼやきは自重するとして、ご紹介する「スペシャリスト」なるスペクタクル大作。何回も見ていますが、その度に完成度の高さに惚れ込む一品。早い話が、「善の爆弾魔」と「悪の爆弾魔」が対峙し、街中が焦土と化す、実に不謹慎な話です。そういえば、「ブローン・アウェイ 復讐の序曲」とか「ジャガーノート」という古典的な作品も多く、決して突出したものではないが”配役の妙”で他者とは別格の風格をもつ、そんな映画です、「スペシャリスト」。ポイントとなってくるのは、大量殺人兵器ですから、一般市民を巻き込む恐れもある、「いかに悪党だけをピンポイントに罰していくか」、ここに全てがかかってくる。この「善と悪の比重を仕分けるセンス」が必要になり、ものすごく監督の資質が問われてくるのですね。それと、爆弾ですから「いつ起爆スイッチを押すか」という「時間の概念」も問われてくる。こうなると、「ジャッカルの日」とか「暗殺者」みたく、撃つタイミングを計る狙撃手の話と同列のスリラーが求められてくる。ほほう、映画ひとつ作るのでも、「作り手の資質」が要求されてくる、それも特上のレベルが。こう思うと、成功したのは「ニキータ」とか「レオン」という、悲壮感漂う「孤独な暗殺者」を題材にしたものだけの気がしますね。スタローンやバンデラスも悪くはないが、やはり1か2の役者を選べと言われると、即座にジャン・レノをチョイスしたいと思います。

この「スペシャリスト」の悪いところは、中盤でシャロン・ストーンが自分は死んだものとスタローンをだまし、尚且つジェームズ・ウッド側に寝返る。この不必要なスリラーですね。ここで観客の多くは「なんだ、ストーンはやっぱり悪い女なんだ、悪魔のような女だ」とシラけてしまう粗末なエピソードがある、死ぬほどつまらないねえ。それと、劇場公開時話題になった2人の情事が、今となっては新鮮味に欠けること。単に破廉恥行為みせたいなら、ニコール・キッドマンやジュリアン・ムーアのほうが官能的でしたし、何、ベッドシーンなんて、適当に見せていれば製作者サイドも安心するのであって、変態性を強めると「氷の微笑」みたく社会を敵に廻す事態になります。「長いものには巻かれろ」という言葉を知っておきましょうね。

もうひとつ、スタローン映画としては珍しく、コンピューターが数多く登場される、これも珍しい。まぁ、「殺しのテクニック」というか、殺人手段にばかり目が向き、肝心の”はぐれ狼”的なキャラクターが埋没している。彼は世界一のボクサーという称号を(銀幕内ではあるが)勝ち取っている男、変にハイテク機器に頼る方向性は無用だと思います。

まぁ、そういう欠点も指摘できるが、やはりジョン・バリーの音楽の前ではひれ伏す他ない。個人的には007より好きで、iTunesの再生回数で常にトップを飾る逸品です。暗い過去を持つ暗殺者の過去を匂わせる音楽、死ぬほど好きだ。まぁ、世間一般ではビル・コンティやゴールドスミスが魅了するスタローン映画こそ「王道」であり、ジョン・バリーなんて、真夜中のカウボーイみたいで、リアリティがないよ・・・・大多数でしょうね。う~ん、感性の差というか、いつまで経ってもロッキー節というのも、進化がないと思います・・・少なくともわたしは。

最後のホテルの一室を爆破し、部屋ごと海面に叩きつけられるシーンは身震いしますし、ジェームズ・ウッズとの知能戦も手に汗握るもの。正直、シャロン・ストーンは要らないんじゃあないか、という疑念の思いもありましたが、こういう「因果応報」という言葉の持つ意味合いが、最大の見せ場でもある。惜しむのは、カットの嵐で原型をとどめていないこと。バスでヤンキーどもに怒りの鉄拳をくわえるシーンは必須項目でしょうね。まぁ、悪く書きましたが、映画としては完成度がグンバツで、業界に娯楽とは何たるかを席巻させた一品でもあります。5段階評価でAとします。ジョン・バリー、大好きです。

  5段階評価=★★★★★    見た媒体=深夜ロードショー(民放)

息子  (iTunesレンタル)

むかし「楢山節考」という、半分は実話であるというショッキングな人情劇がありましてねえ、公開時、ずいぶん物議をよんだものです。「自分を育てた親を殺す」という題材からして禁句なのですが、いや、事実この「姥捨て」という風習は歴史上の確たる史実だったのですよ。今の人からは想像もできないでしょうが、近代文明が訪れる以前の日本では、今では考えられない「しきたり」があり、それに反すると即、村八分。「八つ墓村」の大量虐殺にせよ、タブー中のタブーたる話が、今なお語継がれて”伝説”となっている。われわれ映画を愛するものも、こういう「事実に対峙して、後世に残す必要」がありますネ。ちなみに、今村昌平版はクソ、見るに値するのは木下恵介版ですよ。時々NHKがBSでしているので、チェックしておくように。ただ、そうですねえ、老親を介護している年配の方が見ると、夜うなされて眠れなくなるかもしれませんよ。

この「息子」たる映画、かなり前にVHSで見ていますねえ。この時は特に感慨たるものはなく、”老親を看取る”というより、”人を好きになり悶絶(苦笑)する青春群像”という意味合いに惹かれたのですが、今回iTunesで見直すと、メインは「故郷を捨て都会で過ごすプータローのチャラけた日常”の一言で片付くのに驚きです。だいたい、ろうあ者の娘と結婚しても未来は見えていますし、わざわざ一人身の父心配をかける行為なんて、逆に親不孝じゃあないか、と思いました。まぁ、原作がもともとチャラチャラの椎名誠の小説ですから、ずいぶん視点が狭い一方通行な展開になり、最後はアカデミーの賞狙いというか、名誉・権力に迎合した山田洋次の腹黒い魂を垣間見た気がします。

前述のように、主人公(三國連太郎)が妻に先立たれて、理詰めな長男夫婦から同居を迫られるが、思案の末に、次男(永瀬正敏)の住む都会に上京する。そこには以前では思いもしない律儀な息子の姿を目にし、彼の婚約者の人柄にも心動かされる。長い旅路のあと、待っていたのは、かつての暖かい家族であり(当然、白昼夢であるが)、死という未来を容認し、ひとり深々と雪降る我が家の中で、訪れる死=子供との別離に覚悟する。なんとも意味深な終わり方になる、ここで言いたいのだが、「なんで死ぬほど辛気臭い親捨て映画をワシに見せるのか」、ここですね!こりゃ~!ワシは勧善懲悪、テロリストに正義の執行をする娯楽活劇しか見ないと言ったろうが!(笑) まぁ、たまには、教育勅語みたいな映画もいいが、見終えて神経がダウンし、夜中の1時から眠れず悶々とした時間を過ごしたぞ。見る人を選びますなあ。

そんなことより、論じたいのは「貧民層(不適切な表現なら流行の”無縁死とか、孤独死という未来に怯える低所得者”・・・実にメジャーな言葉)」の悪烈な社会構図であり、首都にそびえ立つ高層ビル群と対照的な、場末の飲み屋でたむろする労働者の群れ。おおっ!ブレードランナーみたいだ!(笑)。でも、だからといって、「キック・アス」みたく権力者や弾圧を無理強いする不当な社会へ報復するという、雑な話はなくて”やけ酒で愚痴りあう労働者諸君の宴”という、ずいぶんハト派な見せ方に徹する。孤独で自暴自棄な生活をする父親と、居酒屋という都会の喧騒で働く息子、この交じり合うことも予想できない二者のスタンスが、最後には暖かい交流に結びつき、和解して「家族」とか「故郷」という前置きの言葉の持つ「言霊」の持つ意味に観客は気づかされる。このあたりは、百戦錬磨の山田洋次、腕の見せ所です。個人的には感心しないけれど(失笑)。僕好みじゃあない。ゴメンな!山田監督!

それより、和久井映見さん、原田美枝子さん、浅田美代子さんという「今では熟女路線まっしぐら」の女優さんのはつらつとした色気、ここにこそ男性客は見とれるのではないかな。和久井さんなんて、もうババアで、大きい子供いるんじゃないの?という不安も残るが・・・。この「マザコンというか、エディプスコンプレックスの嗜好性ある男子」にはたまらない顔ぶれ。ヲタクだねえ!!!もっとも、原田美枝子さんにもこういう若きオンナの持つ純なフェロモンもあったんだ!この発見もいいですが、基本的にこの3人はずいぶん後咲きな成功をした俳優さんたちであり、方針としては、この映画間違っていない。が、今の若い子から見れば「ババアの宴」です。

音がだめですね。松村禎三さんの仕事ですが、いや、基本的に山田洋次とはコメディのニュアンス強い軽妙なメロディこそ本道であり、「学校」みたく、妙にセンチな展開をする「ぶりっ子的スコア」はふさわしくないと思います。まぁ、男はつらいよのテーマ曲、この呪縛からは未来永劫逃げられまい・・・。監督にとって、最大の壁とは代表作の持つ「最高潮の時」を乗り越えれないカルマであり、自分自身との戦いであるのですよ。

ごもっとも、当時の社会構図、世相の反映、地方の持つ閉鎖性・・・・問題提起はいいですよ、ご自由に訴えなさいと寛容なポジションを示しておきますが、逆にそれゆえ観客に不快な思いをさせてはいけない。若い男女の恋愛模様は、映画で必須項目だが、あの2人では暖かくて豊かな家族は作れないでしょう?こういう出来もしない空想絵巻を論ずるなんて、ペテン師だよ。言葉キツいけれど。繰り返しますが、見る人を選びますね。総括して5段階評価でEとします。お好きな人はどうぞ!

    5段階評価=★     見た媒体=iTunes

一日10回下痢。ダウン寸前だが掃除に勤しむ

本日、1月5日(木)、夜7時00分から8時37分まで、おおよし97分間、家中大掃除しました。前回が12月29日(木)でしたので、実に8日ぶりです。

今日、突然の下痢をして、トイレに10回も行く始末。別に水便や軟便ではなく、推測するに嗜好品の服用しすぎだと思うので、当分コーヒーや香辛料の類の摂取は控えます。緑茶もだめか・・・・カフェイン入っているからなあ。

掃除のほうは、前回から数えて20回近く排便したため、トイレ中心に拭き掃除しましたが、思ったより微量。トイレットペーパー屑は気持ち悪いので、ふき取ってマットも洗濯。階段は8日間かぁ・・・この時の流れが物語っており、悪烈なもの、6回ほど拭きなおして、ようやくピカピカに。

これから風炉に入り、体に付いた薬品臭を消します。11時30分・・・・近所の者、で起きているのはワシだけ?

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